◎幸福を願うあなたに
人が幸せな一生を送るためには、いろんな条件がそろわなければなりません。その中でもとくに<縁>と<運>はそのもとになる大切なものであります。当山の本尊様は、古来よりこの<縁>と<運>にご利益をくださる観音様として来ておりますことは、ご存知のとおりでございます。今後とも、どうかまよわずに、一心ひたすらに大山の観音様を御信心くださることを念じて止みません。
◎人生すべて良縁に
袖すり合うも他生の縁という言葉があります。縁の尊さと不思議をあらわしたものですが、普段、肉親は勿論隣近所、友人たちに対して縁を意識することは少ないようです。しかし、人生すべて縁によって生じ結ばれていると教えてくれているのが仏教です。短い人生に時を同じくして生まれ合わせた、ごくわずかな人々が出会い,互いに愛し合い、あるいわ憎み合っておりますのも縁によってであり、縁がつきると離れなければなりません。この人間の知恵を超えた縁を仏教では宿縁とよび、これを大事に生かそうとしております。縁も生かせば良縁となり、すてておけば悪縁、くされ縁にもなりかねません。
いろんな縁によって生かされているわけですが、とりわけ夫婦の縁は数多い縁の中でも生涯を左右することはもちろん、子孫にまで影響のある大切な縁です。この夫婦の縁を結ぶということは数十億の人間の中から二人が出合い、そして、愛し合い、夫となり妻となって子供を生むということであり、人の力だけではまことに容易ならざることです。また、選び次第では良縁,不縁が決定されてしまうと言っても過言ではないでしょう。いい加減な夫婦になるのは別にして、真の夫婦となるには細いえにしの糸ではどうしょうもあありません。そこには余程の宿縁がなければならないのです。
本人の努力は申すまでもないことですが、男女の縁に限らずどうか縁のご誓願のある、この大山の観音さまにおすがりして宿縁を良い方に深めていただき、また、悪縁の方は良縁に転じていただくよう御祈り下さい。
◎運を開く
縁は運は別のものと考えられがちですが、縁と運は深くつながっております。秀吉を例にとりますと、矢作川で小六に出会わなかったら、そして信長とめぐりあわなかったら、さらに光秀がいなかったら・・・・・秀吉は果たして天下をとることが出来たでしょうか。このように人と人との縁が天下国家の運命に影響をもたらします。運という言葉を「運よく合格」「運よく難をまぬがれた」とか「亭主運が悪い」、「これも運とあきらめて」とか、よいにつけ悪いにつけ日頃あまり気にかけず使っています。
それでは一体、運とは何であるかと申しますと、人の力でははかりしれない、いかんともしがたいめぐりあわせ、不思議な成り行きということになります。運は日常生活の周囲をまるで空気のようにとりまいております。また、運には幸運、不運、悪運とがあります。運はたえず動いておりますのでそこには無限に運の岐れ道が出来てきます。運の毎秒,毎分のつみ重ねが運命とよばれています。運にはいきおいがあります。ですから、ひとつの運が次つぎに運を招き連鎖反応を起こします。これを運勢とよんでおります。どん底から身を起こし大成功をおさめた人もいますし、たくさんの人が死ぬ大惨事を経験しながら助かっている人もいます。いつも日のあたる場所をゆうゆうと歩いている人もいます。逆に不運に泣かされている人も多いのです。
大山の観音さまは運と縁に御聖願のある霊験あらたかな御本尊さまです。幸運の方はなるべく大きく長く持続させるように、逆境の方は最小にくいとめるよう御祈願下さい。必ず幸せな運を呼び込めます。